column

プレゼントの中身は受け取り手次第
[ L'Anniversary Live ]

感想を一言でいうならば「この日に間に合って良かった」

実のところファン歴の浅い私。
しかも途中、空白の3年間があったので、長らくファンをやってらっしゃる方々に着いていくのに必死な状態。
ライブ初参戦のseven days初日「Fare Well」が流れた時の、あの雰囲気。
今思い出しても鳥肌が立ちます。いえ、今思い出すから鳥肌が立つ。
その時会場で私は「自分はなんと場違いな所にいるのだろう」と思いました。
ハイドの美しさ、可愛らしさ、歌唱の素晴らしさに酔いながらも
「このライブは、活動停止期間中、不安を抱えながらも彼らを待っていたファンのためのライブなのだ」と痛感し
自分のような、にわかファンがその感動に立ち会う事を申し訳なく思ったものです。

復活ライブしかり、seven daysしかり…
ラルクに度々つきまとう不安。それを一気に払拭するライブ。
いつだって音楽で応えてくれていた。
L'Anniversaryも、単なるお祭りではなく、同じくらい重要なライブだったと思うのです。
今回は彼らが止まっていたわけではなく、むしろ逆。
ソロの充実ぶりとその成功。(私は「HYDE」しか見ていませんが)
自由で楽しそうな音楽活動は、ラルクの時とあまりに違いすぎる。
勿論、水面下では相当の苦労があったとしても、
その苦労がダイレクトに反映される、手の届く、自分の目の行き届く活動は新鮮だったはず。
一時代を築き、財をなし、もはや死にものぐるいで走り続ける必要はないのではないか?とファンですら感じてしまう昨今。
ラルクが無くなってしまったらどうしよう!?という不安と、でもソロ活動を続けてくれるならいいか…という妥協。
そんな揺れる気持ちに、またも音楽で応えてくれた。
お祭り騒ぎの中に、私たちは確かに答えを見ました。

ラルクでなくては。

HYDEソロツアーのあまりに過密なスケジュールとハードな楽曲、荒々しい歌唱。
もう、ラルクの曲を歌えなくなってしまうのではないか?
もう、ラルクの曲を歌う気はないのではないか?

しかし蓋を開けてみれば、とんでもないミラクルが。
常々「ハイドって他人の曲を歌うと、歌が上手く聴こえるよね」と話してましたが、今回は、まさにそんな感じ。
HYDEがラルクを歌っているようだった。
hydeが100パーセントの力を出して歌い上げていた曲を
(hydeが100パーセントの力で歌い上げるように元々作ってあるのだから当然だ)
HYDEは80パーセントの力で歌いきることが出来る。
残り20パーセントの余裕が、歌に色艶を与える。
高音も全く損なわれておらず、もっともっと上昇できる気がする。
もっと歌いたい、もっと声を出したい。はやる気持ちを抑えるのに苦労してるようにすら見える。

なんて繊細で大胆な表現力。
なんて雄弁なパフォーマンス。

うむを言わせぬ歌唱に、為す術もなく引き込まれた。

hydeを何年続けていても、彼は存在しなかったろう。
HYDEを何年続けていても、彼は存在しなかったろう。
目の前のこの人が生まれた奇跡と必然。

驚きなのは、見た目は完全に「hyde」であること。
笑っている、はしゃいでいる。駆け回る姿が愛らしい。
なのにどこか崇高な佇まいは失われない。

「歌うことが楽しくなってきた」と彼は言う。今までは宿命だったと。
ラルクの歩みと、その成長ぶりを辿れば、なんとなく想像がつく。
彼にとって歌うことは逃れられない枷でもあった。
その枷が外されたとき、彼がまた選んだもの。

それをどうかずっと手放さないでいて欲しい。

seven daysでは、彼らからの贈り物を受け取る準備が全く出来ていなかったけれど
今ではしっかりと受け止める事ができる。
こうして長々と書き連ねていること、過去の私では思いもつかなかった事ばかりだ。

この日に間に合って良かった。
私の人生とラルクの歴史、わずかでも重ねることが出来て良かった。
素直にそう思えるライブでした。

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