column

にほんごむつかしー
[ flower ]

歌詞全文

日記に時々書く「本日の一曲」でこの曲について書いたら、いろいろご意見いただきました。

この曲がどれほどの名曲であろうと、どれほど人気があろうと、これだけは譲れない。
日本語の文法間違っとるんや!!!
おかげで私はこの歌にちーっとも入れない…。お婆ちゃん日本語にはうるさいのよ…。
「かなわぬ想いなら せめて枯れたい!」正しくは「いっそ枯れたい」です。
「せめて」の後には、ちょっぴり譲歩案が来ます。
「ラニバーサリーに行かせてくれないないなら、せめてWOWOWに加入してよ!」という感じ。
でも、ここでは「ラニバーサリーに行かせてくれないないなら、死にたい!」と言ってるわけで…繋ぐなら「いっそ」です。
♪いいっそぉ~枯れたい~ うーん、売れない…売れないかもしれないな。

 *  *  *  *  * 

「死」を譲歩案としてもってきているのはハイドの意図。「せめて」で正しいのではないか?
というご意見に、私も居住まいを正した。
正直、そこまで歌詞を読み込んでいない。この歌、本当に苦手なのだ。
しかし、言い出しっぺは責任を取らねば…。
とりあえず「せめて 枯れたい」この一文のみを考察してみました。
※主人公を花になぞらえているので、「枯れたい」=「死にたい」が基本設定。

 *  *  *  *  * 

「せめて」は「満足というわけではないが、最小限これだけでもという気持ち」を表す。
「いっそ」は「中途半端な状態を排して思いきったことを選ぶとき」に用いる。

通常、希望優先順位はこんな感じ
想いが叶う > とりあえずこれだけでも叶えたいという譲歩案「せめて」 > 最も極端な最悪の選択肢「いっそ」

この法則をhydeが利用して、つまり「死」は、
自分にとっては最悪じゃないんだ、という…文法を逆手に取ったメッセージだとしたら?

そんな観点で考察してみたんですが、やっぱり難しい。

一足飛びに最悪の「死」を選ぶなら「せめて」ではなく「いっそ」です。

そうではなく、「せめて」の後に「死」を持ってくる事で
『自分の命すら軽んじてしまう程、愛している』と表現したかったのだとしたら。
希望優先順位を変えるために「せめて」を、あえて使ったことになります。
想いが叶う>死>最後の選択

と、なるわけですが
要するにこの文章、何が一番言いたいのかといえば
「それだけこの想いは強いんだ」と言いたいわけです。
それを強調するために「せめて」以下の文があるわけです。

叶わぬ想いなら せめてもう少し夢を見ていたい
叶わぬ想いなら せめて君を忘れられたら…
叶わぬ想いなら いっそ春が来なければいいのに
叶わぬ想いなら いっそ枯れてしまいたい

後に続く言葉は何でもいい。
唯一ダメなのが「せめて」と「死」の組み合わせなのだ。
「せめて」の後には譲歩案が来る。
つまりこれだと「彼にとって死は選択肢の上位にある(少なくとも最低の状況ではない)」ということになる。
願いが叶わないなら…心残りではあるけれど、死んでまうという手もあるよな…。
安易に選ぶ死で、その想いの強さを伝えることが出来るだろうか。
全く「想いの強さ」を際だたせることにならない。

叶わぬ想いなら 枯れてしまいたい
「枯れてしまうこと」が最後の手段であるからこそ、活きる文章。
最後の手段を選んでしまうほどに、この想いは切実だと歌わねばなるまい。
だからこそ「いっそ 枯れたい」が、やはり正しいと思う。
「強く咲いていたい」と願った後に、一番選んではならない究極の選択を、死を、望む。
「叶わぬ想いなら いっそ…」で言葉を切ってしまっても良い、とさえ思う。

死を譲歩案として選んではならない。

「せめて」と「死」を同時に使えるのは
「せめて綺麗に死にたい」「せめて苦しまずに死にたい」
それより最悪な「死」がそこに横たわっているときだけです。

 *  *  *  *  * 

「想いが叶わないままに生き続けること」が最悪の状態だ、と言うために「死」を譲歩案としたのでは?という説も
この二つが表裏一体である故に、難しいと思います。
生き続けることよりはマシだ、として選んだ死によって「最悪の状態と定義した比較対照」が失われてしまうのでは文章として成立しない。

今までも散々アクロバットな解釈をしてきて、なぜこの曲だけ消極的なのかと言えば
ひとえに「自分好みの味に料理できない」から…(あぁ…)
確かにhyde詞には、ひっそりと毒が隠されていたりして、
それを見つけだすのは至上の喜びであったりする訳ですが、今回はそういう展開を見いだせなかった。

「なんだ~ラブソングか…。」
「あれ?それにしてはこの単語の使い方変じゃない?」
そこから深読みしてみたら、「ラブソングどころか、この歌とんでもない~!」
という感じで、ちょっとした「目印」を掘り起こすと
その曲の第一印象をガラリと変えうるような「隠し球」を見つけだせる(こじつける事が出来る)場合にのみ
この技は有効ではないかと思うので。
「恋人のことすごく想ってるのね」
「あれ?ちょっと違和感が」
「やっぱり恋人のことすごく想ってるのね」
という展開に、目印(違和感)を組み込む必要性を感じない。
むしろ違和感のみ受け取ってしまう人がいるとしたら、ハイリスク・ローリターンです。
これが「せめて」を使うことで「こいつは恋人の事なんか全然想ってない!」という方向に持っていけるなら
hyde様得意技出ました!と、なるんですけれど…。
これは、好みの問題もあるでしょう(^^;


…と、まぁ…、たった一言の副詞でここまで…(唖然)
真に受けてはいけません。こんな考え方もある、程度に!
なんせ、私はどちらかと言えば理系ですからね(笑)
それにしても皆優しい。hydeに対して、曲に対して、凄く優しい。
皆でワイワイ、ここまで読み解く努力をしてくれたら、作詞家冥利に尽きるというものでしょう。
本当のところ、どうなの?と本人に問いつめたら
「え~?『せめて』じゃあかんかったん?」と可愛く一蹴してくれる気もしますが…(笑)
参照:大辞林、大辞泉

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