column

[ last quarter ]

※映画を未だ観ていない人、観て大満足だった人は読まないで下さい。遠慮なく乱斬りしてます…(^^;

原作読んで、映画も何度も見て、それでもどうにも共感できない自分は…
やっぱりただのHYDEファンなんだろうなぁ、と思う。
例えアダムが幽霊だろうと死神だろうと、浮気性の恋人「知己」の方は、どうあっても選べない。
そんな訳で、思いっきり主観的に…「下弦の月」を斬る!

キャスティング
栗山千明とHYDEが並ぶと、もうそれだけで異次元ワールド。
成宮寛貴にとっては「アダムの対極」という役どころで非常に不利ではあるが…
しかしそれを差し引いてもあまりにも「普通」。
伊藤歩も、どこにでもいそうな普通の可愛い娘である。
HYDEと伊藤歩が「運命の恋人」だと言われてもピンとこない。視覚的に説得力がない。
成宮寛貴と栗山千明も然り。
これが入れ替わるとしっくり来るんだが…成宮と伊藤、うん、お似合いじゃないか!
栗山とHYDEは、どこまでも逝って下さい、というくらい浮世離れカップルである。
あくまでも視覚的にハッとしたいという基準で「さやか」も含め、栗山千明には3役こなして欲しかった。
原作とは違ってしまうが、大したことじゃない。

「EVIL EYE」のビデオに栗山扮する「さやか」が映っていたら、かなりときめく。
1時間50分という映像作品の中で「生まれ変わり」を、ひとめで説明できる効果もある。
そもそも「生まれ変わり」だと気付くまで遠回りしすぎ。時間が勿体ない。

そして問題の成宮くん。普通の学生を演じてて、とても良いのですが…しかし…
アダムをフッてまで選ぶ可能性のある男なんて、ひとりしかいない。

現世の恋人がHYDEだったらどうだろうか?と想像してみる。
HYDEとアダムの間で揺れ動く栗山千明。あー、そりゃもう迷いまくるだろうさ。
浮気性で女にだらしがない、しかもちょっと音痴なHYDEと…
カリスマロックバンドヴォーカルで、後追い自殺までして自分を想い続けるアダム(でも幽霊)。
さぁ、どっち!?って究極の二択やってるんじゃなくて…ああ…しかし迷うな…。
HYDEにもう少し演技力があったらば!(余計なお世話)

アダムのセリフ
思い切って、この際、全面カットでどうでしょうか。
セリフの無いシーンはグッと胸に来る。入り込めるの。別れのシーンは本当に悲しかった。
瞳で人を殺せる彼ですから、いっそ瞳の演技に終始して欲しいわけです。
「幽霊なので言葉では伝えられないもどかしさを表現してみましょう」とかなんとか…
そこは二階監督、彼を傷つけないようにうまいこと言って!

「キミのために作った曲だから」なんて無くてもいいセリフ代表。
言われたところで美月は信じてないし、自分のための曲であることは思い出せば自然と知れること。
ここは、ただ微笑むだけで十分。
名前を聞かれたら、おもむろに美月の手を取って、手のひらに「Adam」と綴って欲しい…
クサいですか?いいんです!二階監督だって、こういうベタベタな演出は嫌いじゃないはず。
美月が「アダム」と声に出した時、風が吹くんですね。何かが心をよぎるわけです。
霊界からかかってくる電話も置き手紙でいいじゃないですか。
ヴォーカリストでありながら声を失っているという設定も切なくて良い。決定!

EVIL EYEのPV
蛍が病院のテレビで目撃するPV映像。もう、全面カット!(またですか)。
カメラは、テレビの方向から蛍の正面を捉えていれば良い。
曲と歌声は流れていて、でも映像は見せない。アダムの顔は蛍だけが見れば十分。
(声のないアダム案採用なら、美月の時は姿だけ、蛍の時は声だけ…と、観客にとってはもどかしい限り)
ここで出し惜しみする事で、EVIL EYEのビデオを知己・蛍・正輝が鑑賞する場面でPVが最大限に活きる。
正輝と一緒に会場内おもわず「…すげぇ」状態になれるのだ。

前世からの約束
…だったはずなのに。
「アダムほど私を必要としてくれる人は他にいないんだよ」
「あんな人生いらない」
「アダムと私は似たもの同士。私の居場所はそこにある」
極めつけ
「アダムは今も 何も見えない真っ暗な世界で 私をきっと待ってる」

ここまで言っておきながら、分かっていながら、それでもアダムを選べないのか!
暗く閉ざされた門の前で「私、バカだ…」と泣き崩れるイヴ。
アダムが迎えに来ないからではない。簡単には見つからないだろうと、覚悟していたはずだ。
全ては、死に伏した美月の手を握りしめ、涙を流す知己のせいだ。
このシーンは19年前と全く同じ。
先立つ悲しみも、おいていかれる悲しみも知り尽くしている彼女だからこそ、
悲劇を繰り返すことが出来なかった。おいていくことができなかった。
大量の薬を飲んで倒れている母親に向かって「おいていかないで」とは不自然なセリフだ。
「死別」こそ、繰り返される前世からのトラウマなのだろう。
彼女は知己を、もう一人のアダムにする事は出来なかったのである。

メビウスの輪
「逢いたかったよ」と言われて、幽かに微笑むアダム。嬉しそうである。
その分「望月美月をもう一度ちゃんとやり直したい」と言われて、肯くアダムの凍り付いた表情が痛い。
彼の永遠の孤独は、今、約束された。
生を全うすればまた会える、と美月は思っているが、実際には二度と会えないだろう。
「さやか」の果たせぬ想いと、19年に一度のラストクォーターの奇跡が、交わるはずのない彼らの軌道を交差させた。
さやかを含め、前へ歩き始めた美月は、これからも何度も生まれ変わり、輪廻を繰り返し、たくさんの人と出会う。
その輪から追放された彼には、彼女を再び見つけるチャンスは無い。
自殺という禁忌を犯した彼の墓標に刻まれた「二度と生まれ変わらない」という刻印。
途切れたメビウスの輪の中で、彼は永遠に彷徨い続ける。

エンディング
ボートシーン全面カット(またですか)。
今更生まれ変わったら云々…などと聞きたくもない。興ざめもいいところ。
生まれ変わることが出来ないアダムと、彼を見捨てて強く生きる彼女。
二人の結末が出た後に「生まれ変わっても私を見つけてね」などと何故言わせるのだろう。
約束したのに自殺なんてするから来世で結ばれないじゃん!バカじゃないの?
ってこと??わ、わからない。構成の意味がわからない。

「自殺」を否定するにしても、アダムの悲劇性を強調するにしても、くどい。
人間成長物語ゆえにアダムが取り残される事は仕方がない。
決して「生まれ変わりの奇跡」がテーマではないのだ。
焦点がぼやける上に、白く斜をかけた二人のアップも少女趣味で寒い。

それでもどうしてもラストシーンはHYDEにしたいんだー!と監督が言うのなら(しょうがないなぁ…)
…うーん、私だったら最後の最後、歌が終わってヴァイオリンソロになったあたりで、
画面中央が月明かりでほのかに明るくなって、よく見ると湖。よく見るとボート。
よく見ると乗ってるのはアダム?という感じで、幕。
ラブラブな知己・美月と対照的で、泣けるじゃないですか。間違いなく(私は)泣きます。

暗闇の中でたった独りで、月明かりだけを頼りに彼女を想い、けれどその場所を目指すためのオールは無い。
彼女の記憶の中で薄れてゆく「アダム」こそが欠けゆく月。
そうして記憶から完全に消えたとき、彼もまた彼女を見失うのだろう。
ニュームーンの生まれない世界で。

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